乃木希典の書簡や戦時中の写真(アルバム)など買取り致しました。

  • 乃木希典の書簡
買取した品
乃木希典の書簡 勲章 記章 写真など
買取方法出張買取
お住まい東京都目黒区
買取参考価格280,000円

※買い取り価格は当日の価格であり、その価格を保証するものではありませんので予め御了承下さい。
※状態や付属品の有無、買い取り方法などによって価格が変動いたします。

スタッフからのコメント

目黒区のお客様より遺品整理の際にお電話を頂きましてお伺いさせていただきました。
おじいさまの趣味で収集された乃木希典の書簡や勲章・記章、戦時中のアルバム写真など一点ずつ査定をさせていただきました。軍隊物や戦争物は国内外にコレクターが多くいますので中古市場でも高額になるケースも珍しくありません。当社でも買取強化中のジャンルとなりますし、今回査定させていただいた品々はとても貴重なものも多く、高額査定となりました。
ご依頼くださいまして誠にありがとうございました。

乃木希典
明治期の代表的陸軍軍人。長府藩(長州藩の支藩)藩士乃木希次の3男。幼名は無人。
海軍の東郷平八郎とともに〈聖将〉と呼ばれました。
文を志し、吉田松陰の叔父である玉木文之進の塾を目指しますが、文武両道を諭され入門を許されました。明治4(1871)年陸軍少佐、西南戦争では歩兵第14連隊長心得を務め、田原坂の激戦で連隊旗を失います。これが終生乃木を苦しめたといわれています。母寿子は妻帯を勧め、11年8月27日薩摩(鹿児島)藩士湯地定之の4女お七(結婚後、静子)と結婚しますが、鬱屈の情を酒にまぎらす日々が続きます。しかし、19年川上操六とドイツに留学し戦術を研究したことが転機となります。帰国後、軍紀確立などに関する意見書を提出する一方、自らは常に軍服で身を律しました。日清戦争では第1旅団長として旅順を占領しました。占領時の大虐殺事件が世界の非難の的となります。28年中将に進み、翌年台湾総督に就任。日露戦争では大将、第3軍司令官として出征し、難攻不落といわれた旅順要塞を3回にわたって総攻撃し、37年12月5日203高地を占領しました。翌年1月1日、旅順要塞司令官ステッセル中将の降伏申し入れに同意、翌日水師営で開城規約が成立、5日ステッセルと会見しました。旅順陥落までの戦闘で2子が戦死し、悲劇の将軍として国民的敬愛を集めます。3月奉天(瀋陽)の会戦で第3軍は北方へ退くロシア軍と激戦を展開しました。39年軍事参議官。40年伯爵、明治天皇の信任厚、41年学習院院長に任じられます。明治天皇大葬の日、東京赤坂の自宅で割腹して殉死し、夫人もその後を追いました。


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