前田青邨の掛軸や屏風、茶道具等を買取り致しました。

  • 前田青邨
買取した品
掛軸 屏風 和装小物 家具
買取方法出張買取
お住まい東京都世田谷区
買取参考価格600,000円

※買い取り価格は当日の価格であり、その価格を保証するものではありませんので予め御了承下さい。
※状態や付属品の有無、買い取り方法などによって価格が変動いたします。

スタッフからのコメント

世田谷区のお客様より遺品整理の際にお電話をいただきましてお伺いさせていただきました。
お品は日本画・中国画の掛軸、屏風、茶道具、和装小物、時代家具などたくさんのお品がございました。しばらく空き家にされていたためにホコリがかぶっておりましたが拭き取りながら作業を進めますと前田青邨の作品が出てまいりました。前田青邨は明治~昭和にかけて活躍した文化勲章受賞の日本画家です。美しい描線と、たらしこみ描法を用いた洗練された繊細でありながら大胆な作品を多く描き、明快で清新な画風を確立した作家です。今作のような直筆作品は流通量が少なく高価買取となります。
眠っている作品がございましたら是非栄楽堂までご相談ください。

【前田青邨】
1885年(明治18年)1月27日、岐阜県恵那郡中津川村(現・中津川市)で出生。食料品屋(乾物屋)を営む父常吉、母たかの次男だった。本名、廉造といった。
1898年(明治31年) 上京し京華中学校に入学するが体をこわして中途退学、帰郷。
1901年(明治34年) 再び上京し、尾崎紅葉の勧めで梶田半古に入門
1902年(明治35年) 半古から「青邨」の雅号を貰う。梶田半古の弟子は小林古径をはじめ雅号に「古」の字を貰うことが多かったが、青邨以降は奥村土牛を含め「古」を貰っていない。
1907年(明治40年) 紅児会に入り、今村紫紅、小林古径、安田靫彦らの俊英とともに研究を続ける。  
1911年(明治44年) 下村観山の媒酌で、荻江節の家元 初代荻江露章こと佐橋章子の妹すゑ(荻江露友)と結婚。
1912年(明治45年) 健康を害し、神奈川県平塚に転地療養する。
1914年(大正3年) 再興された日本美術院の同人となる
1915年(大正4年) 朝鮮旅行
1918年(大正7年) 日本美術院評議員に推挙される
1919年(大正8年) 中華民国へ旅行
1922年(大正11年) 事業家・望月軍四郎の援助で小林古径と共に日本美術院留学生として約1年間渡欧。アッシジで観たジョット・ディ・ボンドーネの壁画などイタリア中世の絵画に感銘を受ける。 
1923年(大正12年) 大英博物館にて中国・東晋の名画「女史箴図巻」を模写して帰国(模写は東北大学附属図書館が所蔵)
1930年(昭和5年) 「洞窟の頼朝」で第1回朝日文化賞受賞
1935年(昭和10年) 帝国美術院会員となる。御即位記念献上画「唐獅子」を制作
1937年(昭和12年) 帝国芸術院会員に推挙される
1943年(昭和18年) 満洲・支那旅行
1944年(昭和19年)7月1日 帝室技芸員に推挙される[2]。
1950年(昭和25年) 文化財保護委員会専門審議会委員に就任
1951年(昭和26年) 東京芸術大学日本画科主任教授に就任。翌年より平山郁夫が青邨の助手となり、爾来指導を受けることとなる 
1955年(昭和30年) 文化勲章受章、文化功労者。中津川市名誉市民となる
1956年(昭和31年) 日本美術家連盟会長に就任
1957年(昭和32年) 川合玉堂の後を継いで香淳皇后の絵の指導役となる
1958年(昭和33年) 日本美術院常務理事
1959年(昭和34年) 国立近代美術館評議員
1960年(昭和35年) 訪中日本画家代表団団長
1962年(昭和37年) 東京芸大名誉教授
1964年(昭和39年) 日光二荒山神社宝物館の壁画「山霊感応」完成
1967年(昭和42年) 法隆寺金堂壁画再現事業総監修に安田靫彦と共に就任
1970年(昭和45年) 皇居長和殿「石橋の間」に1955年(昭和30年)に謹作した壁画「石橋」を加筆。新たにその左右に「紅牡丹」「白牡丹」の二面を制作
1973年(昭和48年) 高松塚古墳壁画模写事業総監修者
1974年(昭和49年) ローマ法王庁からの依頼によりバチカン美術館に納める「細川ガラシア夫人像」を完成
1977年(昭和52年)10月27日 老衰のため逝去(92歳没)。贈従三位


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